大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野地方裁判所上田支部 平成5年(ワ)55号 判決

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

【事実及び理由】

第一  請求

被告は、原告に対し、金五五〇万円及びこれに対する平成五年六月二〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、山間部の別荘地に別荘を所有する原告が、隣接する別荘地に建築された別荘により眺望が阻害されたとして、その隣接する別荘の所有者である被告に対し、眺望利益侵害の不法行為を原因とする損害賠償を求めている事案である。

二  前提事実

本件で問題となっている別荘地は、長野県小県郡長門町が開発した「学者村」という名称を付した別荘地であり、そのうち同町大字《中略》二六(山林・六一四平方メートル)の土地(以下「本件土地一」という。)について原告が、同所《中略》二五(山林・六九三平方メートル)の土地(以下「本件土地二」という。)について被告が、それぞれ賃借権を有している。

原告は、昭和五〇年ころ本件土地一上に別荘を建築し、それ以来これを利用してきた。被告は、平成四年夏ころ、本件土地二上に別荘を建築した。

三  争点

被告の別荘建築が、原告の眺望利益侵害として不法行為を構成するか。これを肯定した場合の損害額はいくらか。

四  争点に関する当事者の主張

1 原告

(1) 本件別荘地である「学者村」は、その賃借権分譲に際し、山並みを望むことができ自然環境に恵まれていることをキャッチフレーズにしていたのであり、原告別荘からも、もともと後立山から白馬岳にかけての北アルプスを始め、独鈷山等の山並みが眺望できた。

(2) ところが、被告の別荘建築により、原告別荘からの右眺望は完全に遮られた。

(3) 被告別荘は、「学者村」には不相応な巨大なものであり、被告は、被告別荘を本件土地二上の南側道路寄り又はより北西の位置に建築することにより、原告別荘からの眺望を阻害することを容易に避けることができたのに、事前に原告に連絡するなどの配慮を全くせずに現在の位置に建築した。

2 被告

(1) 「学者村」は、特に眺望を眼目としている別荘地ではない。

(2) 被告別荘による原告の眺望阻害の程度は僅かである。

(3) 被告別荘は、個人の永住用として相当な大きさであり、その位置も、「学者村」の規制(隣地との境界線から二メートル以上離す)を遵守した上、本件土地二の地形等から工事予算を考慮して配置を決めたものである。

第三  判断

一  眺望利益の法的保護について

1 原告は、本件において、眺望利益侵害による不法行為を主張しているので、まず、原告別荘からの眺望利益がそもそも法的保護に値するものであるかが問題となる。

ある一定の場所からの眺望は、これを見る者に対し何らかの精神的影響を与えるものであり、その眺望できる風物が美的満足感や精神的安らぎを与えるものであれば、その場所の所有者又は権原ある占有者にとって一つの生活利益となる。そして、この生活利益が、社会観念上も独自の利益としての重要性を有するものと認められる場合には、法的にも保護に値する利益であるということができる。

2 本件においてこれを検討するに、《証拠略》によれば、以下の事実を認めることができる。

(1) 「学者村」は、長野県小県郡長門町が直営する開発総面積が一四〇万平方メートルを越える高原別荘地であり、昭和五〇年から同五五年にかけての賃借権販売の新聞広告には、自然環境の良さとともに、場所により有名な山々が望めることも宣伝文句に使われていた。

(2) 本件土地一、二は、そのうちの第二期地区(約三九万平方メートル)内の概ね北西側が開けた沢(尾根に対する意味)の斜面に位置し、周囲はから松等の樹木が多く育成している。遠方に対する眺望は、北西方向しか開けていないが、本件土地一からは、付近の立木又は建築物の障害がなければ、約一〇キロメートル離れたところに標高一二六六メートルの独鈷山を、約六〇から七〇キロメートル離れたところに爺ケ岳、鹿島槍ケ岳、五竜岳等標高二八〇〇メートル前後の北アルプスの山を、それぞれ見ることができる。ただし、北アルプスの山は、遠距離であるため、晴れていても空気が澄んでいるときしか見えない(その見える頻度については争いがあり、年間何日見えるか、その一日のうちどの位の時間見えるかなど明確には認定できないが、少なくとも北アルプスの眺望が無視できるほど少ないものではない。)。

(3) 本件土地一は、面積約六一三平方メートルで沢の上下に長い形であり、原告は、昭和五〇年に同土地の賃借権を購入し、そのころ、同土地上のほぼ中央付近に別荘を建築した。原告別荘一階ベランダからは、被告別荘が建築されるまでは、前記独鈷山、北アルプスの山を見ることができ、原告及びその家族は、年平均五、六回この別荘を利用する際、その眺望を楽しんでいた。

3 以上の事実をもとに検討するに、本件土地一は、別荘地としてそもそも精神的安らぎを求めに来る場所であるから、そこにおける眺望は、その要素の一つとして社会的にも重要視されるべきものである。そして、本件土地一が、「学者村」の中で特に眺望に優れた場所とは言えないにしても、被告別荘が建築されるまでは、同所から近くの独鈷山や、ときにより北アルプスなど遠方の山並みを眺望することができ、実際に原告及びその家族等がこれを楽しんでいたのであるから、本件眺望利益は法的に保護されるべき利益であるということができる。

二  眺望阻害行為の違法性について

1 しかしながら、本件眺望利益が法的保護に値するものであるとしても、これを侵害する行為がすべて違法な不法行為になるわけではなく、その侵害行為が社会的相当性を逸脱し、眺望利益が受忍限度を越えて侵害された場合に初めて違法性が認められると解するべきである。そして、本件においては、被告の別荘建築は、本件土地二の賃借権に基づく利用としての権利行使であるから、その社会的相当性の逸脱については両者の利益の調和を考慮することが必要となる。

2 本件において、その判断のための事情として、《証拠略》により、以下の事実を認めることができる。

(1) 本件土地二は、本件土地一の沢の下側(北西側)に隣接する面積約六九三平方メートルの土地であり、被告は、昭和五〇年に同土地の賃借権を購入したものの、しばらくは別荘を建築しなかった。

(2) 被告は、平成三年五月ころに至り、本件土地二上に別荘を建てるため、竹内一級建築士に設計監理を依頼した。被告は、将来的にはその別荘を定住用に用いることも考え、部屋数、スペース等を多く要求したため、二階建で延床面積は一七〇平方メートルを越えるものになった。また、その建築位置については、当初本件土地二の敷地南側の道路に近いところを予定していたが、同年一〇月ころから受注業者と工事価額の交渉をする際、当初の見積額を下げるためには、建築位置を道路に近い急な斜面からもう少し北東の谷寄りの斜面のなだらかなところにして基礎工事の方式をキャンチレバー方式から布基礎方式にする必要があるとして変更された。これにより、工事費は五、六〇〇万円安くなり、最終的には代金三一〇〇万円で建築工事の請負契約が締結されている。

(3) さらに、同年一二月に長門町を経由して県知事宛に提出した工事届の図面においては、被告別荘の建築一が本件土地一との境界からは約七メートル離れた位置(本体壁面を基準)に予定されていたが、実際の建築にあたって、より平らで安定した場所に建築するため、本件土地一に近づき、境界から約三メートル離れた位置にまで原告敷地に寄った。

(4) 右のとおり建築位置を定め、あるいは変更するについて、被告側は、隣接境界線から二メートル以上離さなければならないという「学者村」の規制は意識していたが、原告別荘からの眺望を害するかどうかという点についてはまったく考慮せず、したがって、このことについて原告側に何らかの通知・打診等をすることもなかった。

(5) 被告別荘は、平成四年一〇月ころに完成したが、その大きさは、各辺が約一〇メートルと約一一メートル(庇は約一四メートルと約一二メートル)の矩形であり、三角屋根の突端部の高さが土地斜面の高い所で地面から約九メートル、低い所から約一二メートルである。これにより、右境界線から約一三メートル離れた位置に建っていた原告別荘ベランダからの前記山並み等に対する眺望はほとんど遮られてしまった。

3 前記一2及び二2の各事実に基づき、被告別荘の建築が社会的相当性を逸脱したものであるか否かを判断すると、まず、本件土地一における眺望利益は法的保護に値するものとはいえ、「学者村」においてはその自然環境が別荘地としての眼目であり、眺望が第一の価値を有するという地域ではないこと、特に、本件土地一は沢にあたる部分に存在して遠方の眺望が開ける範囲は狭く、そのうちでも、一般的にも有名であって原告も訴訟当初強調していた北アルプスに対する眺望は、はるか60キロメートル以上も離れた位置のものであることからすると、本件土地一における眺望阻害による権利侵害の程度は客観的にはそれほど大きいものとは言えない。その上で、被告別荘の建築による侵害の態様を見ると、その建築の経緯等は前記認定のとおりであり、特に、その大きさは周囲の別荘に比して大きいものではあるが、定住を考えたものとしては個人的住宅の大きさを越えるものではなく、しかも、その位置も、隣地境界から二メートル以上離すという「学者村」における定めは守っており、より原告の眺望を阻害しない位置に建築されなかったのは予算の関係によるものであるから、これらの状況の下で、被告の別荘建築行為が社会的相当性を逸脱しているものと言うことはできない。

4 なお、原告が、本件における眺望利益の侵害が違法性を帯びるとする根拠のいくつかの点について補足説明する。

(1) まず、被告別荘の大きさが「学者村」に不相応に巨大であるとする点についてみると、「学者村」における設定契約書には、その目的が「木造及びプレハブ別荘建築」と記載されているものの(第一条)、現実に定住者が存在し、宣伝パンフレットにおいても「学者村」自身が定住を認めているのであるから、右目的の言葉は定住用の個人住宅を排除する趣旨ではないと解される。そうすると、個人用別荘地において、営利目的で多人数の宿泊を予定したホテルや会社の寮のような規模の建物を建築するのならばともかく、被告別荘の程度の大きさは、その個人の使用目的・経済状態によって差異が生じる限度を越えているとは認め難いから、周囲に比して大きめのものであるといっても、これを社会的相当性逸脱の要素と考えることはできない。

(2) また、被告別荘の建築における原告別荘からの眺望阻害の程度について、過去の違法性を認めた裁判例の場合より上下、左右の阻害角度が広い点を指摘しているが、そもそも、その角度自体右裁判例と単純に比べられるものではなく(左右の角度は庇の先端部での角度であって、三角形になった屋根部分の大きい被告別荘の横幅を示す角度として適当か否か問題であるし、上下の角度も屋根の先端部分という点で右と同じであり、また、斜面の建造物という点では、眺望として有用な部分、すなわち眺望としてはあまり意味のない谷底を見る範囲等を除外した部分のうちどの程度を阻害したかということを考慮せざるを得ない。)、原告自身主張しているように、眺望阻害の程度は一つの判断事情に過ぎないのであるから、この点をさほど重視することはできない。

(3) さらに、被告が原告別荘からの眺望に対する配慮をしなかったことを非難している点は、確かに現地の状況に照らせば原告がその眺望を楽しんでいたことは予想できるのであって、これをまったく考慮しなかった被告の態度は必ずしも相当であったとは言えないものの、仮にこれを事前に考慮したとしても、建築位置に関してはその予算の故に道路側ではない現在の谷底側になったのであって、これが容易に変えられたとも考えられず、また、高さも、現在の建築位置を前提に原告別荘の眺望を残すためには二メートルは下げなければならないが、被告別荘の基礎の高さが南東角で七一センチメートルであることを考えると、これを下げることも容易ではないと考えられるから、結局のところ、被告の別荘建築を違法たらしめるまでのものとは認められない。

三  よって、原告の請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 鹿野伸二)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例